COVID-19は国家の緊急事態です。困っている人がたくさんいます。国民の生活を支えるため、1世帯当たり300万円を給付します。財源はみなさんの預金です。現預金の半分を特別税として徴収します。

いまの世論を見ていると、こんな法律すら通ってしまいそうな気がします。困っている人を助けよう。金を持っている人が助けるべきだ。ひとつひとつは正しい理屈が、全体的な暴走を生みかねない。そんな雰囲気が国全体を覆っています。

国に対して都市封鎖を求める声がここまで多いことに驚いています。移動=私権を国が制限することがどれほど危険なことなのか理解ができない。自分の考えが正しいことに疑いを抱かず、国はかくあるべきと思い込み、自分と違う意見を抑え込むことが正義だと信じる。もはや二次大戦前の軍部と同レベルの考え方です。

移動の自由は個人の権利。それは思想や財産と同じものです。それを国に制限させることを望んで声を上げる民衆。この次は正義の名のもとに他人の財産や自由を制限することを求めるのでしょう。出来の悪い小説を読んでいるようですがこれがいま日本で起きている現実です。

国家権力による私権の制限は憲法によって抑え込まれるべきである。この憲政の考え方は絶対君主制のもとので多くの犠牲を経て、やっと人民が手に入れ、法制度に組み込まれたものです。フランスではフランス革命で、アメリカでは独立戦争を経て、日本の場合は二次大戦で多くの犠牲を出しではじめて手に入れることができました。そこに払った犠牲はCOVID-19の比ではありません。

権力による私権の制限を受けた経験のある人は、後世の我々に憲政の大切さを伝えてくれています。例えば司馬遼太郎のほとんどの小説には二次大戦のときの軍部の愚かしさが書かれています。その小説の舞台が戦国時代であろうが江戸時代であろうが、彼は昭和の軍部が起こした問題を書いて我々に学ぶ機会を与えてくれています。でも、現代の人間は彼の本を読まない。学ぼうとせず、感情と理論の区別すらつかなくなっていく。

人間や国家が容易に狂うことは歴史が証明しています。それを避けるために人間は学ぶ。でもいまは学ぶことをやめた人たちが幼稚な正義を振りかざして声をあげています。学ばない者の正義はもはや狂気。この流れが変わることを願うばかりです。