豊臣秀次。あまり印象の良くない名前です。

豊臣秀吉の甥にあたる秀次。子供のいなかった秀吉の後継者として関白の地位につくも、その後秀頼が生まれたことで地位を追われ、切腹に追い込まれると言う大変な人生を歩んだ大名です。

その秀次の印象がよくないのは、粗暴な行いが原因で切腹を命じられたから。秀吉は豊臣家を存続させるために仕方なく出来の悪い秀次を後継者に指名しましたが、秀頼が生まれたので、粗暴な秀次を排除した。これが教科書で教わる歴史です。

前置きが長くなりましたが、近江八幡はその秀次が治めた町です。

かつて近江商人が住んだ街がその姿を留めています。優遇税制を取ることでたくさんの近江商人がここに住みました。当時は活気があったんだと想像させてくれる美しい街並みが見られます。

碁盤の目のように整備された町は、ここは畳屋さんエリアと言う感じで地区ごとに整備されています。商売の効率がすごく良さそうですね。

そして町を流れる運河が物流をサポートします。琵琶湖から流れる運河は商店の裏を流れており、荷揚げが簡単な構造。美しさだけでなく、便利さも町にもたらしています。

秀次は町の後方にある小高い山の居城からこの美しい町を眺めていたようです。こんなに綺麗な美しく効率的な町づくりをした秀次が粗暴な人であったとは考えにくいですね。

秀吉の晩年はおかしな判断の連続でした。軍事バカの仕事を作るためとは言え、勝ち目のない朝鮮出兵を続けたこと。最も信頼してはいけない徳川家康の権力を奪わず、豊臣家の将来を託してしまったこと。元気なときの秀吉では考えられないことをし続けていたので、加齢とともに能力が衰えてしまったのでしょう。秀次の暴虐も、彼を切腹させて秀頼に跡を継がせたかった秀吉の言いがかりだったのではないか、などと思ってしまいます。

ちなみに近江八幡はメンソレータムで有名な近江兄弟社の祖となったヴォーリズが暮らしていた場所でもあります。彼の建築も近江商人の町に負けずに美しいのでおすすめです。

これはヴォーリズ建築ではないですが、綺麗でした。観光案内所なんだそうです。

半日くらいで歩ききれる小さな町ですが、見所は多いので近くに寄った際にはぜひ。