お客さんへの挨拶回りに岐阜県は大垣へ。今後来る機会は無くなってしまいそうなので大垣城に寄ってきました。鉄筋コンクリート製の城郭にはなんの情緒も感じませんが、ここは石田三成が関ヶ原西軍の本陣を置いた地。歴史を感じるには最適の場所です。

優秀で真面目で性格も良い石田三成。好きな戦国大名の一人ですが、誰もが知っている通り関ヶ原の戦いで命を落とします。

三成は西軍の大将。つまりその時の政権である豊臣方を代表しており、徳川家康のクーデターを征伐する立場でした。正義があるのは政権=三成側。本来であれば徳川以外の大名とともに、反逆者である徳川を征伐すればよいだけでした。

ところが、石田の想像を上回る大名が徳川方につき、敗れることになります。それは、三成が他の大名の感情を無視したためです。

三成の行政能力は非常に高いものがありました。すでに日本統一を成し遂げた豊臣政権下で必要なものは軍事力ではなく、国としての仕組みを作る行政力。それを持っていた彼は頭角を現し、国を強くする統治機構を次々と作っていきます。結果、三成の権力も強くなっていきます。

三成は権力を欲したわけではありません。国の産業を(主に商業)を活性化し、強い国を作って戦争や飢饉をなくしていくためには政治体制の改革が必要でした。そのために必要な権力を行使していただけにすぎません。

しかしそのことを気に入らない人たちがいました。豊臣秀吉の天下統一に尽力してきた軍事バカたちです。戦争はうまいけど、天下が統一された今は戦争がない。どんなに築城がうまくても、もう城を建てる必要がない。残念ながら、彼らには税制を考えたり、会計を管理したり、物流を作り出したりする力はありません。だから活躍する場を失い、三成に対する嫉妬心を募らせます。

それと同時に、豊臣政権下での自分たちに危機感を抱きます。もしかして、自分が活躍できない時代がやってくるのではないか?三成は自分たちの領地を奪ったり、やることに口出ししてきたりするんじゃないか?自分は損をするのではなかろうか?こんな恐怖が彼らを襲います。

三成はこう言った軍事バカ達の気持ちには気づいてていたと思います。しかし、完全に無視をしました。結果、彼らが自由に活動する余地が生まれ、彼らが三成の反対勢力を形成していくのです。この点が関ヶ原の敗北につながりました。

三成には『正しいことをしていれば分かってもらえる』と言う気持ちがあったのかもしれません。自分の領地も顧みず国の制度設計に没頭していた彼のやったことが継続していれば国力が増加し、飢饉や戦争も減ったと思います。

それでも、軍事バカの感情を無視してはいけなかった。人は理屈では動かないからです。大きなことを成し遂げた人はみんな、この人の感情のコントロールを上手くやっています。

織田信長は強大な軍事力で恐怖を与えることで、彼に従わないと言う発想を封じてきました。従わない素振りを見せたらすぐに制圧。反乱を起こすと言う余地などありませんでした。

豊臣秀吉は懐柔によって人の気持ちをコントロールしました。コミュニケーションをたくさんとることで不満を解消し、ときには我慢を許容させ、反乱を起こす気持ちを押さえ込んでいました。

三成は、軍事バカ達を制圧してもよかった。彼らの話を聞いてもよかった。でも実際は両方とも行わず放置。結果として反乱分子が巨大化、関ヶ原での敗北につながりました。

三成が思い描いていた日本の未来は家康の作った江戸幕府より進んだものでした。家康よりも三成の方がずっとフェアな人でもありました。きっと日本の未来は三成にまかせた方が明るかったと思います。でも、残念ながら人は理屈では動いてくれない。感情よりも理屈を優先してしまった三成の描いた日本の未来は、家康によって閉ざされることになりました。

少し気を使えばよかっただけ。もったいなかったなぁ、三成。そんなことを思いながら大垣城を後にし、お客さんへ挨拶へと向かいました。