自分にとって『本』の位置付けは時間潰しの道具です。飛行機・電車での移動のとき、待ち合わせで時間が余ったとき、そんな時のために鞄にはKindleが入っています。

こう言う用途だと軽く読めるものがよいので推理小説を多く読みます。ただ、横山秀夫・東野圭吾という素晴らしい作家を読み終えてしまったあとはなかなかよい推理小説には出会えていません。売れている推理小説を買っては、読み終わったあとに稚拙な犯人の動機や、無駄になった世界観(〇〇と言う画家に影響された被害者の独特なデザインの洋館)などに憤りながらも、時間潰しと言う目的を達成して、また新たな推理小説を読んでいます。

前置きが長くなりましたが、言いたかったことは自分が文学作品とは縁遠い人間だと言うことです。そんな僕が、又吉直樹の火花を今さら読みました。

とてもよかった。

筆者の優しさに触れて心があたたまる。そんな作品でした。

物語は若手漫才師の徳永とその先輩の神谷の話。徳永には又吉さんが投影され、神谷にはおそらく又吉さんが理想とする漫才師像が投影されています。

犠牲者とも言えるほど、お笑いだけに全てをかける神谷は、徳永から見ると完璧な漫才師なのに、それが故に異端として社会や人から見捨てられていく。普通の人である徳永は、神谷が異端であり社会がそれを受け入れないことをわかっていながら、その才能の側にいたくて、でも弾き出される神谷を見ているのがつらくて、複雑な思いを抱えながら神谷との時間を過ごします。

その徳永の神谷に対する思いがとてもあたたかいんです。

漫才師以外に出来ることのない神谷。

でも漫才師として成功することのできない神谷。

おそらくどこにも行き場所のない神谷。

この絶望的な神谷に、徳永は愛を持って寄り添い続けます。徳永の言葉・思いは愛に満ちていて、心に響くものばかり。神谷のような異端じゃなくても、生きることに難しさを抱えた読者の心に刺さるものです。

この他にも文章の美しさや、古い言葉と現代の言葉の融合など、目を見張るものはたくさんありました。それでもやっぱり、徳永の優しさがこの作品のハイライトだと思います。

文学作品とは時代に寄り添って、その時代に生きる人に何かをもたらすものなのかもしれません。誰にとっても生きにくくなったこの時代に、又吉さんは作品を通じて優しさを分けてくれたのかもしれません。

読書へのモチベーションが上がったので、カラマーゾフの兄弟でも読み直そうかと思ってます。大荒れ時代のロシアで、ウォッカ飲んで、暴力振るって、決闘して、神様なんていない!って大騒ぎする話だったと記憶してるんだけど合ってるかな…。