『あきらめの世代』

勝手に思いついた言葉ですが、僕より下の世代(20代・30代)はそう呼んでいいと思います。基本的に社会や周りの環境に期待をせず、現状を受け入れる癖がついていて、戦うことは時間の無駄だとあきらめている、そんな世代です。

やる気がない、覇気がないと言われがちですが、現実的だと言った方が正しいと思います。自分のできることを冷静に判断し、その枠の中に納まろうとする姿勢が上の世代にはやる気なく映るのかもしれません。

結婚をする人が減っているのは、結婚と言う形を維持することの難しさを理解しているからだろうし、子供が減っているのは子供を持つことのリスクが高いからでしょう。「そんなんじゃダメだ。我々の時はリスクを負いながら前に進んでいった。」と上の世代は言います。しかし誤解を恐れずに言えば、上の世代は経済成長とともに全員が成功することが可能だった世代。流れに乗っていさえすれば前に進めた時代です。

いまは流れが存在しない。前に進むには自分で漕いで進まなければならない。そういう難しさがあるにもかかわらず、成功体験を忘れない世代が作った社会制度はそれを邪魔します。

典型的な例が雇用。『あきらめの世代』は雇用に対して無駄な希望は持っていません。会社は業績が悪くなることもあるものだし、それによって解雇されても仕方がないと感じています。その代わり会社に対する忠誠心も低い。

こう言う世代が中心の社会なのだから雇用の流動性はもっと持たせるべきです。いまいる会社の先行きに不安があっても、転職ができると思えれば雇用に対する不安はなくなります。しかし成功世代にはこれが理解できません。終身雇用のよさを知っている世代は、企業に解雇の自由を与えられない。解雇が自由になれば、空きポジションが増えて転職も容易になるのに、そういう発想はできない。

『あきらめの世代』にも終身雇用は素晴らしい制度だと思っている人は多いです。でもそのほとんどが、いまの時代に実現するのは無理だと知っている。会社の寿命が短くなっている中で、同じ仕事を40年続けるなどと言うのは無理な話だし、それに期待するのはリスクでしかないと現実的な判断をしている。

だから仕事を変えやすい社会になってもらいたい。ところが社会制度がそれを邪魔する。労働者として保護されるよりも、解雇とともに相当額の手切れ金をもらって、他の仕事を探す方がよほど現実的で気楽なのに、制度がそれを許さない。

成功世代はそれでは弱者が保護されないと言います。その制度が弱者を生んでいることに気づかずに。雇用の流動性がない社会で、就職活動に失敗したら?間違った会社に入ってしまったら?そこからのリカバリーが難しいことを成功世代は理解ができません。

現状の制度では、一度就職と言うレールから外れてしまった『あきらめの世代』は再びレールに戻ろうとはしません。それがいかに難しいことかを知っているから。そして成功世代はこれではダメだと被用者の保護を叫びます。

この悪循環を断ち切るには政治の力を使うしかないのですが、それも無理だとあきらめて選挙に行かないのがこの世代。自業自得と言えばそれまでですが、やりきれない思いがします。