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嫉妬が攻撃性を生むのではないかという仮説

財務省の事務次官がセクハラ発言で辞任をしました。メディアと世論に追い込まれて辞めざるを得なくなったというのが実情でしょう。

 

やったことは恥ずかしいことだとは思いますが、罪と罰のバランスが取れているのか疑問です。彼は犯罪を行なったわけではありません。セクハラの程度としては重くない上、関係もテレビ朝日の女性の記者と取材対象である財務省の次官。直接の権力関係があるわけでもありません。女性記者は、彼の機嫌を損ねたとしても仕事上失うものはないはずです。テレビ朝日が彼女の担当を変えれば済んだ話ですので、セクハラの前提となる要件が弱い。もし、彼の機嫌を損ねること女性のキャリアを傷つけるのだとしたら、それは次官の問題ではなく、そのことを『キャリアにマイナス』と認定してしまうテレビ朝日の問題。今回、女性記者が訴えているにもかかわらず、配置転換等を行わなかったわけですから、テレビ朝日はこの状況を容認したわけです。それは直接の権力関係にある会社、ひいては上司によって行われたセクハラであり、次官の行いよりもよほど罪が重いと思います。

 

しかしながら、次官だけが顔を出して連日報道され辞任に追い込まれることになりました。彼は再就職も難しくなるでしょうし、家族もつらい思いをするでしょう。家族がバラバラになる危険もあるはずです。彼は罪を犯しました。しかしそれは法律上犯罪に該当するものではありませんでした。それにもかかわらず、社会的に抹殺された。これでは罪と罰のバランスがまったく取れていません。

 

なぜこのような扱いが生まれるのか。人々が持っている嫉妬心が攻撃的世論を作っているのではないかと考えています。

 

基本的に、人は他人を許すことができる存在です。そのことが人が何か失敗をしても再起できる土壌を作っている。罪を憎んで人を憎まずという言葉もそのことを表しています。しかし、今回人びとは罪よりも人を憎んだ。これはおそらく相手が次官という高級官僚だからでしょう。こんな地位にいる人が、こんな高級取りがこんなことをして許せない。だから攻撃すべきだ、何を言ってもよいのだという空気が醸成された。

 

もしこれが、アルバイトで生計を立てている男性だったらどうだったでしょう。(ここではアルバイトが官僚より上だ下だと言うことを議論をしているわけではありません。あくまでも一般人の認知の例として挙げています。)おそらく世論もマスコミもここまで攻撃性を出すことはなかったでしょう。相手が次官だと言う高級官僚であったことが人びとの気持ちに火をつけ、個人である次官を許されないレベルで攻撃させたのだと思います。

 

その意味では、次官を守ろうとした麻生大臣の対応は至極真っ当なものだったと言えます。次官の人権はどうなるんだと言う言葉は、まさに今回の問題の本質ですし、自分の部下を守ると言う姿勢は上司としても真っ当なものだと言えます。野党は次官を更迭しなかったことを問題だと言いますが、この程度の話で部下を更迭するような上司の下で僕は働きたくありません。そんなことをしていたら組織の人間として安心して働けなくなる。そんな組織になってしまったら、実行力よりも身の綺麗さが優先される組織となってしまい、結果的に官僚組織として国民に奉仕できない存在になるでしょう。麻生大臣の人をバカにしたような言い方はさておき、彼の言っていることを批判する人は優等生だけの実行力のない組織を求めているのでしょうか。(ちなみに、僕は麻生大臣の経済政策には批判的な立場です。いつもよいスーツを着ているのはかっこよいと思っていますが、政治姿勢には批判的な立ち位置にいます。だから彼をかばっているわけではありません。)

 

さて、今回は次官しか表舞台に立たされませんでした。しかし、もしテレビ朝日の上司の人間像が顔も含めて報道されたらどうだったでしょうか。こちらもエリートです、おそらく世論の攻撃にさらされたでしょう。女性記者はどうでしょう。こちらもテレビ局の記者というエリート。次官があんなことを言ったということはおそらく綺麗な方でしょう。会社や週刊誌に問題を持ち込む強い意志と行動力も持っている。おそらく嫉妬の対象となり同様に攻撃の対象になったはずです。彼らはたまたま個人を特定されなかったから被害を受けずにすんだ。それなのに次官だけが攻撃を受ける理由が僕には見つかりません。

 

人に罰を与えるためには、公平性と適正な手続きが必要です。そのために法律は存在します。今回の一連の報道、批判は法律を無視した私刑です。こんなことはもうやめるべきです。

 

嫉妬で一個人に私刑を処す。そういう人たちはきっと自分を肯定できないのだと思います。自分に満足できないから、自分より上の立場の人が堕ちていくのを見たい。そういう人にとってすべきことは他人への攻撃ではなく、自分に満足できるよう前に進むことです。他人を攻撃することで、一時的に自分の欲は満たされるのかもしれません。でもすぐに次の攻撃対象を探したくなる。そうやってこの国は窮屈になっています。他人に優しくなれるくらい自分に満足する。このことがいま大切なことのような気がしてなりません。